BACK スー・クラーク   B&B      アンナさんの  B&Bへ 
  3卓にアイリッシュ花瓶が置かれている。客は僕を含めて三組かな?と想像した。一輪挿しのかわいい花が迎えてくれる。バタ-、ジャムなどが小さい篭の中に置かれている。生ミルクは陶器製のポットに入っている。ナプキンの敷かれた大きい竹製の篭の中に、2種類のパンが5切れづつ合計10切れ置かれている。まだ、紅茶と「メインデッシュ」が来ていない。どんな食物が出てくるのか楽しみだ。彼女は紅茶の入ったティ-ポット、レモン、さらに「ポテトチップス」がいっぱい入った器を持って来た。彼女はその器を差し出しながら、「フレ-クをどうぞ」と勧めてくれた。「これは、どのように食べるのですか」と聞くと彼女はニコッと、「普通は、それにミルクを注いでスプ-ンでたべます」と言って部屋を出て行った。日本では食べた経験がない。ミルクをフレークにかけてカリカリと噛んでみると、クルミや麦芽のような味がする。「パリッ」とした歯ごたえがする。彼女は目玉焼き2個とベ-コン2切れ、ソ-セ-ジ2本の入った大皿を持ってきた。

  彼女は皿をテーブルに置くと、「パンをト-ストしましょうか」と尋ねた。二枚お願いすることにした。フレークを食べあぐんだ、時間をかけ食べる事にした。「失敗のフレーク」を横目に、「これ」がベッドとブレックファ-ストだとわかった。大量の食べ物を前にして、「食べ物を粗末にしてはいけない」といつも言っていた母のことを思い出した。僕が小学校の低学年までは、「脱脂粉乳」が学校給食だった。昭和27~28年当時は食量事情がまだ良くはなかった。我が家は貧乏だった。目の前の卵などは滅多に食べさせて貰えなかった。風邪をひいて寝込んだ時、母は枕元で「何か食べたい物はないかね」とやさしく言ってくれた。その時は、「卵が食べたい」とねだったものだった。その母も今は亡き人である。彼女は、ト-ストをト-スト立てに置くとニッコリとして「何か注文は?」、「何もありません」と答えると、「ごゆっくり」と言って部屋から出ていった。ベ-コン、ソ-セ-ジと味を変えながら悪戦苦闘し食べ続けた。窓の向こうに花と緑の芝生が見えている。しばらくして彼女はテ-ブルを片づけに戻ってきた。

 彼女は「出発は何時ですか、これからの予定は・・・」と尋ねた。「出発は10時頃です。ダブリンにもう2日間滞在したいんです。それ以降のことはまだ決めていません」、ところで、「もう2日間ここに宿泊できないでしょうか」と尋ねた。彼女は、「既に満室なのでお泊めすることは出来ません。でも、私が電話で聞いてあげましょう」と言ってくれた。その時、中年のカップルが朝食のため部屋に入ってきた。彼らは僕たちに軽い挨拶をして奥のテ-ブルに座った。僕は応接室のソファ-座り、新聞を読みながら彼女を待った。彼らは静かに向かい合っている。そして、用意された例の「ミルク入りコ-ン・フレイク」を食べている。質素な服装で物静かなカップルだ。戻ってきた彼女は僕の横に座り、「ここから、車で10分位の所に1日25ポンドのB&Bが、2日間なら予約出来ますが・・・」と言ってくれた。「お願いします、ありがたいです」とお礼を言った。彼女は、「10時過ぎに用事が終わるので車まで送ってあげるわ」と目を「クリッ」とさせた。食べ過ぎて苦しい。座ってお腹を休めることにした。どこを旅しても、「日が昇ると、又歩き始める・・・」と、「行き先も宿も成り行き任せの旅だから、そのうち珍道中になりかねない」と思いつつ彼女を待った。